甲賀忍法帖の朧と弦之介、勝つのはどちらか

 山田風太郎の「甲賀忍法帖」は数年前、漫画にもなり、アニメにもなった。敵対する伊賀と甲賀の忍者の十番勝負を描いた小説である。
 主要な登場人物のうち、甲賀卍谷の若殿・弦之介と、伊賀鍔隠れの姫・朧は、深く愛しあっている。ふたりはその愛でもって、甲賀と伊賀の両家にわだかまった怨念を溶かし、やがて平和をもたらそうと誓いあった仲なのである。
 可憐な朧と仲睦まじく歩くシーンで、弦之介は空想する。
 ——朧どのの破幻の瞳と、わが瞳術、つよいのはどちらか。
 ふと忍者の血が騒ぎ、そんなことを考えて弦之介は苦笑するのである。
 

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 朧の破幻の瞳、は文字通り幻覚を破る。朧の無垢な瞳に見られると、どんな忍者のわざも、その効力を失ってしまう。忍者の術を雲散霧消させて、無効化してしまうのだ。わざを破られて素に戻った忍者は、おのれの醜さをさらされたかのように、恥じて身悶えするはめになる。
 朧のこの能力は、持って生まれた天然のものだ。祖母であり、鍔隠れの頭領でもあるおばば・お幻から、朧は忍者に必要な体術、剣術などをしこまれた。しかし、どれひとつとして物にはできなかった。ただ破幻の瞳だけは成長につれて冴えわたり澄みきっていった。
 いっぽう、甲賀弦之介も瞳を用いた術を使う。刀を振りかざして迫ってくる敵に、黄金のたばしるような視線を向けると、敵は催眠術にかかったように棒立ちになり、相手に向けていたはずの殺意を自分に向けはじめる。自分で自分の首を切り、あるいは仲間同士で斬りあいをはじめるのだ。
 弦之介の瞳術は、敵が自分に向けてくる害意を利用したものであり、害意を持たない相手にはなんの効力も示さない。なかば無自覚に術を破る朧の瞳とちがい、弦之介の瞳術はそのつもりになって相手を見ないと発現しない。弦之介はこのわざを、師である室賀豹馬から授かり、今は師を越えたとされている。忍者の基礎となる体術・剣術などの訓練も十全にこなしたであろうと思われる。

 破幻の瞳をもつ朧。
 瞳術を最大の武器とする弦之介。
 もしふたりが見つめあったら、なにが起きるのか。勝つのはどちらか。
 
 以下ネタバレ。
 弦之介がふと抱いた疑問は、物語のクライマックスまで持ちこされる。
 服部家と交わした「不戦の約定」が解かれ、甲賀と伊賀が互いに抱いた四百年の宿怨は、殺しあいではらされることになる。クライマックス、弦之介と朧は、敵同士として向かいあうのである。
 とはいえ、それまでにさまざまあり、弦之介は「七夜盲」という膏薬で一時的に目が開かなくなっている。
 膏薬の力が切れる七日目の勝負、弦之介の目が今や開かんとする瞬間、朧はあたかも弦之介の瞳術にかかったかのごとく、自らの胸に短刀の刃をあてて、プツリと突いてしまう。
 あれやこれやと懊悩した弦之介と違い、朧は早くから
 ——弦之介さまは討てぬ。
 と覚悟を決めてしまっていたのだった。
 もっとも、弦之介も同じ結論にたどりついていた。忍法十番勝負の勝ちを伊賀にゆずり、弦之介は朧と同じく胸を突いて川の流れに身をまかせるのである。
 
 読者としては満足して物語を読み終えるものの、しかし。
 朧と弦之介の瞳、つよいのはどちらだったか、という疑問はあかされていないとも感じる。
 弦之介と朧、互いに万全な体調で向かいあい、見つめあったとしたら、なにが起きたか。
「なにも起きない」
 が正解であろう。同じ予測をしている人を2ちゃんねるとかでも見た。
 すなわち、弦之介の瞳術は害意をもって向かってくる者にしか発動しない。朧は物語全体を通して弦之介への愛をつらぬいており、害意は持ち得ない。弦之介の術が発動しない。発動しない以上、朧の瞳はなにを破幻するというのか、ということである。
 しいて勝負をつけなくてはならない、としたら弦之介が勝つ。
 互いの瞳がそれぞれ効果をあらわさないとしたら、剣をまじえる勝負となるしかない。朧は瞳に異能をやどしているものの、それ以外はほとんど普通の娘とかわらない。弦之介は一刀で苦しませず、朧を討つだろう。
 
 条件をかえて考えてみれば、どうなるか。
 朧も弦之介も、戦意を満々にして血の宿怨に忠実だとする。負傷などのハンデもない。さらに、朧が弦之介とおなじく、忍者の基礎訓練をくぐり、体術・剣術を身につけていたとしたら。体格差を考えて、まともに打ちあえば弦之介には負けるものの、弦之介が隙をみせれば、一刀でその首をはねる技量も誇りもある、そんな朧を仮定する。ふたりは愛しあった経験はなく、原作とはちがった出会い方をした、としたらどうなるか。
 それでも弦之介が優位である。しかし朧のほうが強い、という予想も立てられなくはない。

 まず朧の瞳が、弦之介の瞳術を無効化した場合である。
 弦之介の金色の瞳は輝きを失う。朧が催眠術にかかることはない。
 もし弦之介が朧の瞳の力を知らなかったとしたら。
 弦之介はうろたえるだろう。その刹那、朧のくないが弦之介に打ちこまれるか。刃が胸に突きたてられるか。もちろん、弦之介がそれを返り討ちにする可能性はある。しかし先制のチャンスを得るのは朧であろう。
 いっぽう、弦之介が朧の瞳の秘密をすでに知っていたとしたら。
 弦之介は自らの術が破られることを想定して挑むだろう。術が破られたとて、さほどあわてることはない。朧の破幻は、しょせん攻撃力を持たない。冷静に対処すれば、手練とはいえ朧は討ちとれない相手ではない。

 逆に、幻之介の瞳術が、破幻の瞳を圧倒した場合である。
 害意をもって向けられた朧の瞳は、そのまま自身に返され、朧の能力がキャンセルされるかもしれない。
 朧は強烈な催眠術にかけられる。
 先に述べた条件、朧の戦意、剣術が、そのまま朧自身を襲う凶器となる。伊賀の姫は自分で自分の首を落とす衝動に逆らえなくなる。これは、朧が弦之介の瞳術の詳細を知っていようがいまいが、避けられるものではない。
 そう考えると、弦之介の瞳術のほうが破幻の瞳よりずっと有利に見える。

 しかし、もしである。もし、たとえばである。
 弦之介の瞳術にかかった、ある忍者がいたとする。その忍者が、朧の破幻の瞳に見つめられたら、どうなるか。その忍者にかかった催眠術が破れるのではないか。その忍者は正気を取り戻し、自分を傷つけようとしていた手を止めるような気がするのである。まさしく気がする、だけで原作をすみずみ読んでもそのような記述はない。
(それっぽい場面はある。筑摩小四郎が弦之介と相対し、朧が小四郎を見る、というシーンである。筑摩小四郎が顔に大怪我を負うという結末になるものの、作者は正確にはなにが起きたか、を記していない)
 破幻の瞳、というのは「彼女が、ただ無心につぶらな目をむけるだけで、あらゆる忍者の渾身の忍法が、紙のように破れ去る」のである。忍者の一念や精神統一を乱し、一瞬の空白をつくる、というのが破幻の本質ではなかろうか。朧に見つめられた術者は我に返り、緊張を断ちきられる。弦之介の瞳術で自分を見失った忍者も、朧の瞳でその状態がキャンセルされる、ということはあり得るのである。

 だとしたら、だ。
 弦之介の瞳術に負けても、朧にはまだ巻き返しの可能性がある。
 弦之介の瞳術を熟知していたなら、朧は術にかかっても、自分で自分の瞳を見ようとするだろう。鏡のような反射するものがあればいい。そう、彼女が握っているのは磨かれた刀身だ。弦之介の術は、その瞳の光を見た者を忘我の境地へおとしいれる。しかし刀身に写ったおのれの瞳を見ることくらいなら、やってやれないことはない。
 朧が弦之介の術を知らなかった場合。
 その場合も、朧は自分の瞳の反射を、刀身のなかに見るのではないか。敵にむけたはずの刀が、自分にむかってくるのである。なにごとか、と刀を見てしまうことはあり得る。自分の首に刃をあてるなら、見ようとせずとも目に入り、鏡面の自分と目があう可能性もある。
 弦之介の瞳術があまりに強力で、たばしる金の光から目がはなせない、鏡としての刀身など見る余裕はない、としてもだ。害意を含んだ破幻の瞳の力は、ことによるとそのまま朧自身に返ってくる。朧の力は無効化されるだろう。しかし朧にかかった催眠術もまた、無効となるのではないか。
 瞳術のさい、弦之介は棒立ちといえる。朧が自分を傷つけようとする刃を止め、考えをまとめていても、弦之介はその姿を、必死に催眠にあらがっているものと受けとるはずだ。弦之介の姿勢は隙そのものとなる。
 朧が弦之介を討つ可能性は高い。

 まとめると、ふつうに考えれば弦之介が勝つ。しかし、破幻の瞳が、すでにかかった催眠を無効にできるなら、朧に勝機がある。
 そのように推量いたすが如何。

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