ちゃんと使える。それ以上のものがない。MacBook の感想 2

 MacBook early 2016。
 インターネットの閲覧とか、ブログの読み書き、テキストの編集、メールのチェックなどなら余裕。大作ゲームや、動画編集以外なら、だいたい快適に使えそうだ。
 キーボードは想像よりずっと良かった。接続装置が USB C だけ、というのも、不便に思うときがくるかもしれないが、今のところ困ってない。
 全体的に、満足している、というべきだろう。
 前に使っていた MacBook Air とほぼ同じように使える。
 なんの戸惑いもない。
 なのに、MacBook Air 11 インチ、late 2010 にはあった、熱狂的な愛着がわかない。なぜだろう。


 たんなるおれのフェチシズム、嗜好の問題かもしれないのだが、おれはひとつ、自分で納得できる回答にたどりついた。
 この MacBook には、「抜け感」とか、「ひょうげ」みたいなものがない。
 
 抜け感、というのはファッション用語で、リラックスした力の抜けた感じ、という意味のほかに、肌をいい感じに見せる、という意味もあるらしいので、たとえとして不適切かもしれない。
 ひょうげ、というは「へうげもの」という漫画で知った。
 ふざける、おどける、ひょうきんに振る舞う、という意味。
 以前の Mac にはその、ふざけた感じがなかったか? と懐古するのである。

 おれは以前、「ジョブズは意外に可愛いもの好きだったんじゃないか」というようなことを書いた。けど、可愛いより、ひょうげのほうが近いような気がしてきた。
 へうげものだったんじゃなかろうか。ジョブズって。
 ボンダイブルー iMac なんてのを作ったのだ。
 なんか丸っこくて、きれいな緑色で、中が透けて見えるパソコンである。どういう意味だよ。マウスなんか円形だった。使いづらいよ。だいたい、名前が iMac である。ふざけてるだろ。古いデバイスは全部とっぱらって、USB みたいな最新のやつを取りつけたけど、そういうのが霞むほど、まず見た目が馬鹿で、ひょうげていた。
 そのあとも調子こいて、ブルーダルメシアン、とか、フラワーパワーとか、正気をなくしたかのような柄物を出してきた。なんか CM で、色とりどりの iMac がケツをふりふり踊ってたようなのを覚えている。ふざけてるだろ、完全に。
 iBook なんてホタテみたいだった。お祭りの屋台にありそうな、浮かれた色をしていた。正直、買っておけばよかった。
 考えてみれば、初代 Macintosh からして、あの可愛さだ。
 それ以前にもジョブズは、Apple II のベージュ色に異様なこだわりを見せて、さまざまな色見本を取り寄せながら満足せず、けっきょく、Apple ベージュという色を作った、みたいな話がある。
 旧 Mac OS だって、ふざけた感じがいたるところにあったのだ。変な顔が出てくるダイヤログとか、爆弾のアイコンとか。

 不安定だった旧 Mac OS が OS X に置き換わって、しばらくたったころ。パンサーって呼ばれた OS のあたりから、にわかに、Mac はちゃんと動くものになった。
 おもちゃみたいだった Mac は、きゅうにとりつくろいはじめて、ちゃんと動くパソコンみたいな顔をしだした。ジョブズの方針が変わったにちがいない。ひょうげは鳴りをひそめた。
 なんかのインタビューで、「イースターエッグ(Mac OS に仕込まれた隠れキャラみたいなのをそう呼んだ)はもうやらないんですか?」という質問に、ジョブズは「そういうのはやらない」ときっぱり答えていた。
 しかし、ひょうげの遺伝子は洗練されて、いたるところに顔をのぞかせていたと思う。ユーザーフレンドリーとか、先進性とか、いろんな名前をかたりながら。
 形でいえば大福 iMac がふざけていたし、eMac もふざけの残滓を色濃く残していた。
 筐体がアルミになってから、Mac はひょうげ、というより、漫画「へうげもの」になぞらえるなら、利休のわびさびに逆行したかのようだった。ひょうげ精神は、iOS のアイコンのカラフルさに移植されて、お祭り感をかもした。

 それでもまだ、 ジョブズの生きているうちは、ふざけた感じがあったような気がする、というのがこの項の主題なのである。神格化するつもりはないけども。
 たとえば、iPad にかぶせる風呂のふたみたいなカバー。あれ、磁石でピタッと気持ちよくくっつく。「な、つくだろ?」といわんばかりに、くっつく。MagSafe も磁石でくっつく。「ピタッとくっついて気持ちいいだろ」といわんばかりなのだ。
「それは、ふざけじゃなくて、機能だろ」
 といわれれば、そのとおりなんだけど、あまりに気持ちよく感覚に訴えるつき方なので、なんか見透されたような、おもしろい悪戯をくらったみたいな心持ちになるのだ。
 あと、MacBook Air とかの光るリンゴマーク。
 Apple のロゴマークに、ぼうっと白い灯りがともるのだ。MacBook Air late 2010 なんて、バッテリー 4 時間しか保たないんである。そのうえ、キーボードのライトは光らない。リンゴ光らせてる場合じゃねーだろ。しかもユーザーは、リンゴが光ってるのを目にできない。使用中、リンゴマークはディスプレイの裏側になるから、意味ないのだ。まじめに考えたら、本当にしょうもないと思う。
「これは、街中で Apple の宣伝をさせるために光らせている」
 という話を読んだことがある。ジョブズが本当にそんな、もっともらしいこといったなら、やっぱりちょっと、ふざけていると思う。
 MacBook Air late 2010 の SSD 搭載だって、ジョブズは「おまえらを、びっくりさせてやっからな」という気持ちでいっぱいだったと思う。「CD とかはなくしたけど、これどうよ。薄いだろ? 小さいだろ? これな、今どき core2duo なんだぜ。しょうもねぇだろ。でも、ほら、ちゃんと動く」
 ふざけたことをしながらも、ちゃんと動く。
 その感じが、その意外性が、ジョブズがいたころの Apple にはあったと思う。

 もちろん、おれが買った MacBook もちゃんと、十全に動くよ。
 けど、リンゴは光らねーし、MagSafe のピタ感は味わえねぇしさ。USB-C なんて、引っぱって抜くんだよ。退化してんだよなぁ。
 漫画「へうげもの」で古田織部が茶器をさわって快感を得るようにさ、やっぱ手の感覚って大事なのかもしれない。バタフライキーボードをことさらに拒絶するひとたちは、もしかしたら、あの無愛想な硬さに、Apple らしからぬものを見出したのかもしれない。
 だとしたら、考えがおよばなかったのはおれのほうかもしれん。

 蛇足だが、ジョブズのふざけた感じの源流をたどって、もしかしたら、悪戯好きで有名なウォズの影響かも、なんて考えるのは、やっぱりちょっと空想がすぎるってもんか。
 おれが最後に見た Apple らしいギミックは、なんかマウスを小刻みに、こするように動かすと、ポインタが大きくなっちゃう、というやつだった。
 あれ、しょうもなくていい。
 逆に、そういうしょうもないの、いらね。というひともいるだろう。
 仕事で使うんだから、といわれたら、確かにそうですね、としかいえないよな。

 ただ、Windows 8 ってあったじゃん。あのスタートを全画面にしたやつ。ああいう迷走って、マイクロソフトがチャレンジャーだったから起きたことだと思う。「いつまでも覇者みたいな顔してられねーぞ、スマホじゃおれたち挑戦者なんだから、いろいろ試そうぜ」という精神だったと思う。
 それがあって、Windows 10 に結実したなら、奇抜なこといろいろやってみるのって、おもしろいと思うんだけどな。
 おれが買った MacBook early 2016、よく動くけど、あんまりおもしろくねぇんだよ。暗い結論ですまん。だからこそ、タッチバーってやつから目を離せない感じなんだよね。

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