ラジコのはじめたタイムフリー聴取は、英断だよな

 ラジオ、という古いメディアの良さは、いろいろ挙げられるだろう。
 そのひとつに、目を奪わない、というのがある。テレビは映像に集中しないと面白さが伝わってこないけど、ラジオはぼけーっと聞くだけでもわりと面白い。画面に目をとられることがない。
 だから運転中とか、家事をしながら楽しめる。
 漫画家のひととかは、手元に集中して絵を描きながら楽しめるので、ラジオリスナーが多いらしい。
 この利点が、ラジオの生き延びてきた理由かもしれない。


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 そのラジオを、ネットで聞けるようにしたサービスが radiko.jp。
 これが便利だった。パソコンで作業中に、ラジオが聞ける。
 ネットを介せば、電波が入りづらい地域、とか関係ない。しかも音が綺麗。ソフトウェアを使えば、ハードディスクに録音もできる。
 おれもラジ録とか買って、せっせと録音をためこんでいた。
 
 radiko はラジオそのものを変えはしなかったが、インターネットのコンテンツとして進化しつづけた。インターネットにはたとえば、聴取エリアなんてない。全世界のコンテンツにアクセスできる、という建前だ。
 radiko もプレミアム料金を支払えば、日本全国すべての放送が聞けるようになった。
 まぁおれは TBS ラジオと文化放送くらいしか聞かないので、さほど恩恵を受けなかった。
 しかし、つづいて始まったタイムフリー、シェアラジオは驚いた。
 過去の放送を、一週間に限り聞けるようになったのである。
 しかも、番組の途中、誰かに聞かせたいところをシェアできるという。
 
 こうなると、radiko のいきついた進化から後ろを見て、逆にインターネットの特性を発見することも可能になってくる。
 ひとつに、ネットの客は決まった曜日、決まった時間にコンテンツを楽しむのを、かったるいと思ってる。ぶっちゃけ、聞き逃がしても YouTube に上がっていたりするのが現状だ。
 もうひとつに、ネットの客は長いのが苦手。
 動画でも、10 分あると「長いな」と思う。面白い部分だけさくっと消費したい。時間もったいないから。
 という自分の時間を自分でデザインしたがる、わがままばっかなんである。
 コピペも簡単なインターネットでは、コンテンツは、言葉悪いけど細切れにされる運命なのだ。ずたずたにされちゃう。
 radiko の新しい進化は、そっちの、インターネットの生理にあわせているようにおれには見える。それを受け入れたのだとしたら、英断なんじゃねぇかな、とぼんやり思う。
 
 タイムフリーの一週間というのは、まいにち新鮮な話題をお届けする、というラジオのひとたちの矜持なんだろうな、ととらえたい。サーバの容量とかアクセス数の話かもしんねーけど。
 なんだかんだいって、ラジオは高品質だよ。ユーチューバーみたいな、人気を博するひとも、もちろんいるけどさ。ラジオ番組は、安定感があるよ。一流の芸人さんたちに広告料を投資して、見返りを得るサイクルができあがるだけのことはある。
 新しいものが、古いものをなんでもぶっ壊す、みたいなことにならなかった、幸せな例でありつづけて欲しいものだな、なんて思うね。

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