Ulysses っての、けっこういいな

 この文章、Ulysses という執筆のためのソフトウェアで書いている。
 小説や記事なんかを書く同種のソフトウェアに、Scrivener っていうのがあり、おれはちょっと使っていたことがあった。スクリブナ、と読むらしい。Mac で文章を書く人には有名なアプリケーションだ。
 スクリブナっていうのは、写真や web の記事を好き放題、放りこんで資料作りが出来る柔軟さがあり、3 Mb くらいあるテキストでも、つっかえることなく編集できる軽快さがあった。コルクボードにカードを貼るみたいにして構成するモードなんかあって、創作してる、という雰囲気がよく出来ていたように思う。
 わりと気に入っていた。

 それでいて、いつの間にか起動する機会は減っていった。なんか、いつまでたっても操作になじめなかった。ひとつに、おれの MacBook Air だと少し起動が遅いこと、またメニューがすべて英語なので、とっつきにくいところも影響していたと思う。
 おれには、多機能すぎたのだ。
 けっきょく、スクリブナではひとつも作品を完成させられなかった。
 起稿すっぞ、という時はいつも、Jedit で書き始めちゃうのである。

 弘法筆をえらばず、という言葉は、道具にばっか金をかけたがるおれみたいなヘボにはこたえる。スクリブナ、だけじゃないのだ。
 おれは WriteRoom や OmniWriter というフルスクリーン・エディタも買った。Hagoromo ってのも買った。基本、良さげなエディタがリリースされれば、おれは喰いつくのだ。だいたい買っちゃうんである。
 道具を新調すれば、なにかいい作品が出来そう、という錯覚をあえて否定せず、テンションを上げるために自分で自分をだまし、なにかしらの言い訳を作り出し、欲しいという気持ちだけを純粋に高めてその勢いに酔いながらポチっとやっちゃう。
 で、満足して終わり。
 無駄金を使うことでストレスでも解消してるだけなのだ。
 小説をはけっきょく、Jedit で書く。

 

Ulysses は 3 ペインで構成される。一番右がグループ(フォルダ)、真ん中がグループの中身。一番左が編集画面である。
Ulysses は 3 ペインで構成される。一番右がグループ(フォルダ)、真ん中がグループの中身。一番左が編集画面である。

 そんな自分がさすがに嫌になって、使わないものにお金を使うのを控えていた。そこへ Ulysses のリリースだ。いかにもマカーが喰いつきそうな外観を見て、凄く心が動いた。二週間くらいは我慢したと思う。
 我慢できずにポチッたよ。
 ダウンロードして、思った以上に落ちこんだ。全然テンション上がらない。

 とはいえ、買っちまったもんはしょうがない。
 翌日から使ってみて気づいた。このアプリケーションはおれに向いてるわ。Jedit 以来の当たりだった気がする。用途はぜんぜん違うけど。
 テキストファイルを編集するためのアプリケーションである。
 プレーンテキストなので、文字を装飾したい時、リンクしたい時などには、MarkDown 記法を使う。Ulysses は、MarkDown 文書を編集し、html、rtf、pdf、epub の文書に書き出すためのアプリケーション、といういい方もできよう。
 この MarkDown で書くっていうのが肝であるのは間違いない。マウスやトラックパッドの右クリックで太字を選んだり、メニューからリンク作成を選んだりする必要がない。すべてキーボードで書いてマークアップ(ダウン?)するのである。キーボードから手を離さずにすむ。
 もっとも、小説を書く目的なら MarkDown もほとんど必要ないと思われる(『#』でマークする見出しだけはつけておいたほうがいい。文書内のブックマークに使えるので)。

 すぐに短い文章を四本ばかり書いた。それよりもたくさんの、どうでもいい文章も書いた。なじむ。
 なじむなぁ。
 なぜだろう、と考えてみた。

  • 日本語化されている。メニューが日本語だし、チュートリアルまで日本語に訳されている。おかげで、比較的スムーズに操作を理解した。
  • 機能が多くない。必要充分な機能がすぐに把握できた。例えばスクリブナのように、ウェブページや PDF 、イメージを放りこんで、資料をひとつに管理したりはできない。もっと限られたことをするための物として作られている。
  • 文書を保存しなくていい。自動で保存される。ファイル名で悩むこともない。どのフォルダがふさわしいか、とか考えなくていい。これが大きい。まずは適当でいいのだ。そのまま適当にほったらかしでもいいし、気が乗ればちゃんとした文章にしてもいい。Ulysses は iCloud を使う(使わない選択もある)。保存した、ということはすなわち、iCloud 上にバックアップされた、ということである。
  • ファイルを捜して開く必要がない。Ulysses で書かれた文章はすべて、Ulysses 内で管理される。アプリケーションを起動すれば、簡単に目的のファイルにたどりつける。

 これらはすべて、「書く」ことだけに集中させる工夫である。
 コンピュータで文書を保存するには普通、名前がいる。名前を決めれば、その名前に応じた内容を書かなくてはならなくなる。
  Ulysses においては、名前を決めてもいいし、決めなくてもいい。一様に保存される。
 おれはまず、「無駄な文章」というグループ(フォルダ)を作って、本当にどうでもいいことを書いた。
「うんこうんこ。ちんこちんこ。でっかいぱいぱい」
 みたいなことだ。
 こういうことって、つい書いてしまうものだ。単に文字を打ちこみたい時がある。けど、これを保存する馬鹿はめったにいない。くだらないし、本当にどうでもいいんだから。こんなの、おれは責任持てないし、わざわざファイル名なんかつけたくない。なかったことにしたいのだ。
 しかし、この Ulysses の野郎は勝手に保存してしまう。
 すぐに嫌になって、シート(新規書類みたいなもの)を作り、今度は意味のあることを書きはじめる。書きはじめたはいいけど、まともな結論にいたらなくて、また嫌になって新しいシートに移る。
 そういうことが許されるのだ。Ulysses のなかでは。
 馬鹿なことを書く自由がある。どんどん無駄な文章を増やせる。「無駄な文章」というグループに放りこんでおいて、あとは忘れてしまったっていいのだ。

 普通のエディタで「うんこ」的な文章を書いて、「クソ文書」的なフォルダを作って、ファイル名は日付にでもしてぶっこめば同じじゃないか、とも考えられる。
 けど、やっぱり違うんだよね。
「この文書、あまりにもひどいな」
 というものを「クソ文書」フォルダで見つけた時、ダブルクリックしてエディタを起ち上げる気力は、おれにはない。
 けど、Ulysses の場合は、もう編集画面があってカーソルが点滅してるわけ。すぐに直したりできる。
 それにそもそも、クソ文書フォルダを開くかどうかも疑問だ。クソって書いてあるんだから。
 けど、Ulysses のグループはわりと開くよ。おれの場合、すべてはここに入ってるんだから、開かざるを得ない。開けば、中身が簡単に閲覧できるし、先に述べたようにすぐさま編集できる。

 ここまで書いておいてなんだけど、以上のことはスクリブナでも簡単に実現できるはずだ。
 それでもおれが Ulysses を使うのは、メニューが日本語だから、ということと、こっちのほうが馬鹿なことを書く自由を認めてくれているような気がする、といういささか弱気な理由からだと思う。
 おれは、誰にも意味が通じないようなことをひたすら書きたいという衝動によく駆られる。無駄な文章なら、いつまでもキーボードを打っていられる。けどたまには、まともな文章を書きたくなって、実際に書いたりするので、生産性は、
「よし、書くぞ」
 という気持ちで他のエディタに向かう時より上がるのである。

 それと、小説を書く、という目的だと足らない機能がいくつかあることを指摘しておきたい。
 Ulysses は文章の横幅、というか、一行の文字数を決められないみたいだ。それに、禁則処理の「追い出し」とか設定できない。
 これは、応募作品を書く場合、致命的であり得る。だいたいの文芸賞には規定というものがある。何文字、何行で、何枚以内、というやつだ。この規定を意識して書くなら、 Ulysses は向かない。
(もっとも最近は何文字以内、という規定の仕方が多いのかもしれない。文字数はちゃんと表示できる)
 あと、アイコンが蝶なんだけど、なんかキモいので注意。

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